<107年の伝統を誇る宝塚音楽学校。そこで長年続いた本科(上級)生から予科(下級)生への「指導」が廃止された>
このニュースが、2年制のタカラジェンヌ養成学校として名高い同校の卒業生に波紋を呼んだ。
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「ようやく、学校の負の部分が明るみに出た」
こうつぶやくのは、2003年に入学した91期生の東小雪(ひがし・こゆき)さんだ。定員40人に毎年1千人前後が受験する狭き門。だが宝塚歌劇団に憧れ、難関を突破した生徒を待っているのは、本科生からの「指導」である。
本科生の前では眉間(みけん)にシワをよせて口角を「下げ」なければいけない「予科顔」や、本科生への返事は「はい」か「いいえ」に限定される「予科語」。有名なところでは、「阪神電車へのお辞儀」もあった。
入学した生徒の大半は寮住まいだが、予科生時代の東さんは、部屋で過ごした記憶はほぼない。
「放課後は、学校の廊下を夜の9時過ぎまで往復する『歩き』があります。指導担当の本科生がレッスンを終えて廊下に出たらすぐに反省を伝えるためです。帰寮後はすぐ、『お話し合いの部屋』に向かいます。三十数人の予科生は、壁一面に”その日の反省”貼り、体育座りでじっと待つ。本科生から廊下に呼び出されると、改めてその日の反省を伝えるのです」
本科生が交代し、指導が朝方まで続くこともある。すきをみてパンやレトルト食品を口に押し込んで夕食にした。
「お話し合いの部屋」でも、運がよければ、壁にもたれてうとうとできる。
「予科生は、慢性的に寝不足で、みんなドリンク剤やカフェインの錠剤を服用していました」(東さん)
生理もとまった。そうでないクラスメートがいると、「楽をしている」とかげ口が飛んだ。だが翌年、本科生になった東さんらは、入学してきた新入生を相手に、「同じように、指導でシメていました。自分たちも同じ目にあったのだから、当然でしょう、という気持ちで」(東さん)
元卒業生の保護者のひとりは、娘が在学中に一緒に阪急電車に乗ったとき、自分は座ったが娘は立っていたとふり返る。
「生徒は無料乗車券をもらっていたため、お客さま優先で座ってはいけないと教えられていたと記憶しています。早朝の学校の掃除や、上級生から下級生への生活面での指導など古風な教育が行われていたようです。しかし、娘からも厳し過ぎるとか、耐えられないというような話を聞いたことがなかった。親としては、消えてしまった昔の価値観が今なお実践されていると、ポジティブなイメージを持っていました」
電車から降りたふたりは、阪急梅田駅周辺を歩いていた。すると、
「娘はしきりに周りに目をやって、音楽学校の上級生がいるかどうか気にしていました。先輩の姿をみかけたら、あいさつ、お辞儀をしなければならないのだと言います。今どき、大変だなあとは思いましたが、それはそれで良いことだろうと感じていました」(同じ保護者)
だが、阪急電車への感謝を示す所作は、本科生へのあいさつに変わっていったようだ。
「学校でも街でも、先輩に会えばあいさつをしなければ、いけません。どの車両に本科生が乗っているか分からない。電車が通るたびに一両、一両に、ペコペコと頭を下げ続けました」(東さん)
生徒の自主性に任せるという学校の方針があったためか、先生が「指導」に口を出すことはなかったと卒業生らは振り返る。そのため本科生によって「指導」の内容は変化したようだ。
81年に首席入学し、雪組のトップスターとして活躍した、たかね吹々己(ふぶき)さんも朝日新聞の取材に、廊下に明け方まで立っているよう本科生に言われ、
「1時間も眠れない日もありました」
こう証言している。東さんが受けた、行き過ぎた「指導」が、特殊な事例だったとは言えない。
宝塚音楽学校の堀内直哉事務長は、「指導」が存在した事実は認めたうえで、こう説明する。
「過去には、行き過ぎた指導がありました。しかし、2010年ごろから、こうした行き過ぎた指導があれば、生徒を交えて話し合い改善しています。10年ほど前から阪急電車へのお辞儀もありません」
最後に東さんは、強い口調でこう話した。
「まだ10代の子どもに、『自主性を重んじる』という名目で、学校が指導を丸投げした結果の、ひどいパワハラでした。もっと早く、学校の大人が動くべきでした」
https://dot.asahi.com/wa/2020091800107.html?page=3
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