《独占公開》ガーシーを誕生させた「ロンブー田村淳」と「関東連合」の強烈な事件とは
暴露系YouTuberのガーシーが、参議院議員に当選し、暴露本『死なばもろとも』を刊行した。
ここには、多くの芸能人や経営者の耳を疑う黒歴史やスキャンダルが、これでもかと実名を挙げて記されている。その内容を、短期集中連載でお届けする。
ロンブー田村淳とのファーストコンタクト
「芸能人のアテンダー」として裏社会でデビューする前のガーシーは、ミナミ(大阪の繁華街)でヤンチャをしながらブイブイ言わせていた。
今から30年近く前、ロンドンブーツ1号2号の田村淳とバーで偶然出会ったことをきっかけに、ガーシーは東京へ進出することになる。
(中略)
あるとき淳がこう言った。
「ねえ、ヒガシさん東京出てこない? こんだけしゃべりがうまくて、女の子に人脈がある人はどこにもいないよ。大阪よりも東京のほうが絶対向いてるよ」
俺の携帯電話に入っていた数千人の電話番号の中には、関西の女子大を卒業して就職が決まり、東京に引っ越した子も大勢いる。
十三へ出禁になってしまったりと、大阪ではスネにいくつも傷を作った。なるほど、淳が言うように大坂から江戸へ河岸を変えるのもええかもしれんな。
こうして1995年、俺は淳のススメにしたがって東京に出てくることになったんや。〉(『死なばもろとも』65~67ページ)
田村淳に1000人の女性を紹介した
ロンブー田村淳といえば、これまで数々の浮き名を流してきた芸能界屈指のモテ男として知られる。
「1000人斬り」と称される田村に女の子を紹介してきたのは、ほかならぬガーシーその人だった。
田村に女の子を紹介するうちに、噂が噂を呼んで次々と芸能人との「裏のパイプ」が生まれていく。
〈ひょんな縁から、ロンドンブーツ1号2号の田村淳と仲良うなった。すると、あっという間に芸能界とのパイプが貫通した。
(略)
学生時代から20代初めにかけて、俺はナンパ目的のサークル活動を5年もやっとった。携帯電話に登録されてる女の子の電話番号は、ハンパない蓄積や。淳が大阪に仕事に来ると、番組の収録が終わったあと「ヒガシさん、今日大阪に来てるんだけど遊ぼうよ」と誘われる。
ロンブーの淳と一緒に飲めるとなれば、ミーハーな女の子なんていくらでも集まる。
みんなキャーキャー大騒ぎや。女の子を大勢呼んで、シャンパンをポンポン開けてハメを外す。気に入った子とエエ雰囲気になったら、お持ち帰りしてワンナイトラブを楽しめばいい。淳が気晴らしできるよう、女の子を紹介するようになったのがアテンダーの仕事の始まりや。
1990年代当時、俺の携帯電話には7000~8000人の電話番号が登録されていた。今と違って番号ポータビリティ制度がなかったから、機種変すると電話番号が変わってまう。
だから連絡先が途中でわからなくなる子もおった。新しい女の子の連絡先は随時追加していたから、新陳代謝はうまいこといってたと思う。
俺はマメやから女の子の連絡先はグループ分けして検索しやすいようにしておった。東京の子は「TK」、大阪の子は「OS」とタグ付けしておく。
「淳と飲むんだけど、今日××に来れる?」と一斉に連絡を送る。100~150人に一斉に連絡すれば、即レスが返ってくるのはだいたい1割や。15人から返信が飛んできて、そのうちの3分の1、5人が実際に飲み屋の個室に来てくれれば御の字や。
こんな作業は一瞬でできる。LINEができてからは、女の子と連絡を取るのはもっと簡単になった。
1998年から1999年にかけて、淳は大阪の毎日放送で「暴ロンブー」というレギュラー番組をもっとった。あのころはしょっちゅう大阪で収録があったから、淳が大阪に来るたびに遊んだもんや。
淳というと、芸能界きってのモテ男で有名や。「1000人斬り」と言われるが、そのうちの相当数は俺が紹介した女の子やと思う。〉(『死なばもろとも』74~76ページ)
記事全文
https://news.yahoo.co.jp/articles/7e430fd8e4c826250e73998ac051ecbe9fb20990?page=1
>>2以降に続く
コメント一覧