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【悲報】震災時「5000円の弁当」で儲けた店が3ヶ月で閉店した理由

時事
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1: ひえたコッペパン 2020/11/30(月) 10:28:04.64 ID:oi7opWRp9
震災時「5000円の弁当」で儲けた店が3カ月で閉店した理由(LIMO) - Yahoo!ニュース
 新型コロナウイルス感染症は、未だに終息の兆しが見えないどころか、日本でも感染者数や重症化数が増えている状況です。また、日本は自然災害の多い国でもあります。地震・台風・水害・土砂災害・火山噴火などに

新型コロナウイルス感染症は、未だに終息の兆しが見えないどころか、日本でも感染者数や重症化数が増えている状況です。
また、日本は自然災害の多い国でもあります。地震・台風・水害・土砂災害・火山噴火などに幾度となく見舞われ、
今後もこのような災害が発生するリスクが高いとされています。中小企業や自治体のトップは、有事の際のリスクマネジメント戦略を定め、
全体共有を徹底しておく必要があります。ダメージを受けてからでは、動きが停滞してしまいかねません。

書籍『儲かるSDGs』の著者で、コンサルタントとして阪神大震災や東日本大震災の被災企業・自治体とも数多く仕事をしてきた
三科公孝さんは、「コロナ禍を乗り越える方法は、震災復興からも大いに学ぶところがあります」と話します。

この記事では、同書をもとに、三科さんに具体的な事例を挙げてもらいつつ、「リスクマネジメントに強い組織づくり」を解説してもらいました。

「人が困る稼ぎ方」は死んでもやってはいけない

奇しくも私は、阪神淡路大震災や東日本大震災、2014年の木曽・御嶽山(おんたけさん)噴火といった危機に直面した
クライアントとお仕事をさせていただく機会がありました。新型コロナウイルスの流行は、それらとも異なる文字通り
未曾有の事態ではありますが、2020年以降の日本社会にも、過去からの学びが通用する要素は数多くあると考えています。

まず、当然の話ではありますが、強くお伝えしたいのは、自分たち以上にコロナ禍に苦しむ方々の、足元を見るような商売をしては
いけないということです。

阪神淡路大震災が起きた1995年、船井総合研究所に勤めていた私は、震災の直前に兵庫県神戸市の中心街・三宮に開業して
被災してしまったカフェのコンサルティングを担当することになりました。

まだ駆け出しだった私は、どうにか難を逃れた店主ご夫婦の家に足を運び、今後の戦略について話を重ねました。
1つしかないお店が被災したので、打ち合わせ場所もご自宅しかなかったのです。JR芦屋駅から徒歩5分のはずのお宅の近くは、
潰れた木造家屋が並び、焼け野原のようになっていました。ある日、そんなご自宅で、奥様が教えてくださったのが、
「1個5000円の弁当」のお話です。

その弁当を売っていたのは、あるお肉屋さんでした。店は芦屋や三宮からは離れており、地震の被害が少なかったようで、
本来は1個400~500円くらいで売っていただろう弁当を、震災のダメージが大きい場所に出向き、1個5000円で売っているというのです。

芦屋については、「関西でも有数の高級住宅街」というイメージをお持ちの方もおられると思いますが、当然ながらごく普通の住宅も多く、
資産家だけが住んでいる地域ではありません。ただ、その値段でも弁当は次々に売れたそうです。

しかし、それから3カ月ほど経ったとき、奥様がそのお肉屋さんが閉店したと教えてくれました。
芦屋の人々は「あんな店、地元だったら絶対に買わない!」と憤っていたそうですが、そのお肉屋さんは地元近辺でも
5000円で弁当を売っていたらしく、実際に地域の人たちに相手にされなくなったというのです。

混乱期にこそ、まっとうに

それとは正反対に、混乱期にまっとうな行動を取ったのが、宮城県に本社を構え、2020年で創業100周年を迎えたお茶の井ヶ田
(いげた)株式会社(以下「井ヶ田」)です。

井ヶ田は和風スイーツの販売や食事の提供をする「喜久水庵(きくすいあん)」という店舗を展開しています。
1998年に発売された抹茶生クリーム大福「喜久福」は人気を博しており、お笑いコンビ「サンドウィッチマン」のお二人も大好きで、
「喜久福親善大使」を務めるほど愛されている商品です。

2000年代の井ヶ田は、喜久福の人気を受けて拡大戦略を取っており、2006年ごろから、私も店舗の売上アップのコンサルティングを
させていただくご縁を得ました。2010年には出店数が50店舗を突破し、若い才能がどんどん抜擢されて、20代の若い店長のみなさんが
それぞれの店舗を運営していました。

そして迎えた2011年3月11日、東日本大震災が発生。

若き店長たちは自主判断での対応を迫られました。通信会社では電話やメールが集中し、回線はパンク。
連絡手段が断たれた状況が地震発生以降続いていました。

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