10月3日、こうツイートしたのは、“ひろゆき”こと西村博之氏。辺野古基地建設に反対する、「新基地断念まで座り込み抗議 不屈3011日」と書かれた看板の隣で、満面の笑みを浮かべたひろゆき氏がピースをしている写真を添えた。
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ひろゆき氏が、現地沖縄で抗議団体メンバーと言い争いになった際にこだわっていたのが「座り込み」という言葉についての辞書の定義についてだ。
ひろゆき氏が「座り込みの意味がたぶん理解されてないと思うんですけど」と抗議団体の責任者に切り出し、ダンプカーが通る時間に絞ったこの活動を「それは座り込みじゃなくて抗議行動です」と“訂正”。さらに、抗議団体メンバーが「24時間してないと座り込みと言わないという定義がどこにあるんですか」と迫ると、「辞書に書いてありますよ」と平然とした態度で返した。
『Abema Prime』内ではこの「座り込み」の定義を根拠に、抗議団体側が「事実でないことを言っている」としていたひろゆき氏。果たして、辞書の定義として、「24時間の継続性がないと座り込みといえない」と言い切れるのか。『三省堂国語辞典』編集委員の飯間浩明氏に話を聞いた。
「まず理解してほしいのは、辞書の説明は法律の条文とは違うということです。『これこれの条件を満たすもののみを○○と言う』などと絶対的な『定義』は書くことができません。『定義』というと誤解を与えやすいので、私自身は5年ほど前から『語釈』『説明』と言うようにしています。
辞書というのは、実際の言葉の使われ方を観察・総合して、『この言葉には、おおむねこういう意味や用法がある』と報告するのが役目です。現実の言葉の使われ方を“後追い”して作るのが辞書なんです。
だからこそ、辞書によって説明に個性があるし、ニュアンスの違いもある。時には、現実に追いついていない説明もあります。ところが、ネットを見ていると、『辞書にこう書いてあるから正しい』といった主張が多い。辞書は言葉を使うための参考書になりますが、『辞書が先で言葉が後』ではなく、『言葉が先で辞書が後』だということに注意してほしいのです」
飯間氏は、ネット上に散見される辞書の役割について、認識の違いを指摘した。では、ひろゆき氏のいう「座り込み」の定義についてはどうか。
「『座り込み』に限らず、『歩く』でも『立つ』でも、辞書編纂者はまず、その言葉がどういう場面で使われるか、実例を集めて分析します。ただ、辞書は典型的な例については詳しく述べますが、典型から外れる例については触れないこともあります。『おやつ』を『間食として食べる菓子など』と説明しても、『バナナはおやつに入るか』までは言及できない。
『座り込み』の場合もそうです。実際の例を見ると、20分とか30分とかいった座り込みの報道記事もあります。その一方で、何時間にもわたる座り込みもある。したがって、『どれだけ長く座れば座り込みである』と決めることは、辞書にはできません」
2019年には名古屋の河村たかし市長が、『表現の不自由展』の再開に抗議し、約10分程度の「座り込み」をした。これほどの短い時間の抗議でも、新聞各社の記事では『座り込みをした』と表現されている。
「河村たかし市長の件もそうですが、言葉というのはいろいろな使われ方をします。『座り込み』に関しては、『特に要求達成までその場に座り込んで動かないこと』と書く辞書もあるし、もう少し広く『目的を遂げるために1カ所に長い間座ること』と書く辞書もある。現実のいろいろな座り込みのうち、どの範囲を視野に入れるかで説明のしかたが変わります。
そんなわけで、辞書に書いてあることを『絶対的な定義』ととらえて、『そこから一歩でも外れると誤用だ』というのは極端です。辞書は言葉を使う上での相談相手であって、法律でもなければ聖典でもありません」
続きはソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/461a4e1b11d99ecc48b031826f1ecee7729f628b
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