ジャニーズ事務所副社長兼ジャニーズアイランド社長で、タレントの発掘や育成に専念していた滝沢秀明氏(40)の突然の退社によって芸能界に激震が走っている。
2019年7月、滝沢氏は事務所社長だったジャニー喜多川氏(享年87歳)の遺志を受け継ぎ、「生半可に人の人生は扱えない」と自らは芸能界を引退。事務所の経営面は現社長・藤島ジュリー景子氏が受け持ち、滝沢氏は後進の指導に専念してきた。周囲の芸能プロダクション関係者から見ると、このきちんと色分けされた二輪運営体制はかなり強固なものと解釈されていた。
13歳からジャニーさんのタレント育成術を間近で見てきた滝沢氏の、プロデューサーとしての辣腕ぶりはすぐに結果が見える形となった。その象徴と言えるのがSnow Manの成功だ。ジャニーさんの急逝から半年後の20年1月にCDデビューさせたシングルが、発売3日目で109万枚超のミリオンセールスを記録。早過ぎやしないかと、滝沢氏のフライング気味な強引なデビューに力量不足を指摘する芸能関係者も少なくなかったが、見事にそれは杞憂に終わった。続くシングル第2弾も91万枚を超えるセールスを記録し、ファースト・アルバムも年間アーティスト断トツトップの84万枚を売り上げた。
メンバーのラウール(19)、目黒蓮(25)、岩井照(29)の”ピン”としてのプロモーションも積極的になってきた矢先での”育ての親”の突然の退社という事になる。Snow Manや、ジャニーさんが最後に手掛けたSixTONES、今年10月28日にメジャー・デビューしたTravis Japanを超えるようなグループを今後も発掘・育成・育成させるのが滝沢氏の当然の責務と思われていたのだが……。
退社理由について、事務所に近い芸能プロ関係者が次のように話してくれた。
「滝沢氏にとってショックだったのは、今年に入ってすぐにSnow Manのマネジメントから外されたことではなかったかと思います。滝沢氏の案件がジュリー社長の案件に替わり、現場マネジャーも代わりました。滝沢氏にとっては、自分が手塩に掛けてブレークさせたグループだっただけに後ろ髪を引かれる思いだったのでは……」
自分が大切に育ててきたSnow Manのプロモーションやスケジュールなどを決めるプロジェクトに、副社長というポジションであるにもかかわらず、タッチできなくなったことがショックだったのは想像に難くない。
事務所としては滝沢氏が新しいプロジェクトに取り掛かかり、新たなアイドル・グループの発掘・育成に全力を注いでもらうためにもSnow Manから卒業して欲しかったのかもしれないが、第三者から見れば、これが”滝沢外し”にも見えたとしても不思議ではない。
■滝沢氏の”バラ売り”構想はラウール中心のはずだった
「滝沢氏が中心でプロモーション展開している頃の”バラ売り”はラウールが中心でした。しかしジュリー社長案件ではフジ系ドラマ『silent』やNHK『舞いあがれ!』を見ても分かるようように、目黒が重宝されるようになってきたのです」(前出・芸能プロ関係者)
“滝沢外し”がいよいよ決定的になったと周囲が確信したのは、10月1日からツアー中の同グループの新潟公演。そこにステージを見守る滝沢氏の姿がなかったことだと言われている。
「2019年から続くこの単独コンサート・ツアーは、Snow Manにとってその1年の集大成をファンに見せる大事なステージだと言われています。そんな大切な大切なライブに生みの親であり育ての親、滝沢氏の姿が無かったわけです。メンバーも異変には気付いていたはずでしょうが…」(芸能関係者)
スポーツ紙などは滝沢氏の今回の退社について、「もうジャニーズで自分のやることはない」とか、「4年間、やり切った」と本人が漏らしたとも伝えているが、はたしてそれが本当に彼の本心だとはとても思えない。
滝沢氏は、ジャニー喜多川氏という唯一無二の存在の遺志を受け継いだ苦労人であり、責任感の強い人物とされる。ジャニーさんの「真の後継者」と呼ぶにはこれからだったかもしれないが、「もうやり切った」などという言葉を簡単には吐かないだろう。今回の滝沢氏の退社をめぐる内情はこれからもっと出てくるに違いない。
コメント一覧