27年間、アイドルそして経営陣としてジャニーズ事務所を支えたカリスマが”帝国”を去るときがきた。
長く日本のアイドル界の頂点に君臨したジャニー喜多川氏。
エンタメ王が生前、後継者に指名したのが、滝沢秀明(40)だった。
当時彼はまだ30代の若さだったが、 ’18年の年末、カウントダウンライブへの出演を最後にスパッと引退。
’19年の年明けからはジャニーズJr.の育成を業務とする『ジャニーズアイランド』の社長に抜擢され、同年7月にジャニー喜多川氏が亡くなると、ジャニーズ事務所の副社長に就任した。
「ジャニーさんと養子縁組しているんじゃないか」と揶揄(やゆ)されるほどジャニーズ事務所に尽くしてきたプリンスが、11月1日、唐突に退社を発表。
芸能マスコミもファンも耳を疑った。
「滝沢は『嵐』や『関ジャニ∞』と同世代ですが、世に出たのは圧倒的に早い。’95年の入所当初からすでにカリスマでした。彼がいるおかげで、ジャニーズJr.は素人同然の研修生から、テレビでも発言できるタレントとして扱われるようになった。弱冠22歳という若さでNHK大河ドラマ『義経』の主演にも抜擢されています」(芸能プロ関係者)
’06年からは、のちに春の恒例イベントとなる主演舞台『滝沢歌舞伎』の前身、『滝沢演舞城』がスタート。
以降、その舞台に『Snow Man』ら多くの後輩を起用し、育成してきた。
人気ユニット『タッキー&翼』が解散し、相棒の今井翼(41)が事務所を去った後も滝沢は事務所に残り、後進の指導にあたった。
彼が手塩にかけた『Snow Man』や『SixTONES』は見事にCDデビューを果たし、『嵐』なきあとの主戦力に成長した。
なぜ、このタイミングで退社なのか。
「ジャニー喜多川氏が亡くなった後、事務所内がジャニーさんの遺志を継ぐ”滝沢派”と、藤島ジュリー景子社長(56)を支持する”ジュリー派”に分裂したのです。滝沢副社長はライブ配信やYouTubeチャンネルの開設などにも積極的。タレントを育て、いかに輝かせるかに腐心するプロデューサータイプで、ビジネス最優先のジュリー社長とはそりが合わなかった」(テレビ局関係者)
滝沢が育てた『Snow Man』や『SixTONES』は、いまやジュリー社長案件になっているという。
「滝沢氏は、上昇志向が強く完璧主義。現場ではJr.の兄貴分として、ワンマンで成功してきた。毎年『滝沢歌舞伎』の大千秋楽後には、自ら段取りしてBBQを用意し、数十人の後輩をもてなしていました。その会場には出演したJr.全員の名前が書かれたのぼりが置かれていた。後輩たちは滝沢氏が目をかけてくれていることを喜んでいました。タレントとの信頼関係を大事にする人なので、ジュリー氏の意向でせっかく築いた関係を壊されることが我慢ならなかったのでしょう。以前から『副社長を降りる』と周囲にもらしていましたから、社長とのやり取りに疲れたのだと思います」(舞台関係者)
10月28日には肝入りのJr.グループ『Travis Japan』が、全世界メジャーデビューを果たしたばかり。
目をかけてきた後輩の晴れ舞台を見届け、滝沢副社長は退社に踏み切った。
「芸能界から引退すると言っているようですが、『SMAP』の元チーフマネージャーの飯島三智さん(64)も引退すると言って、『新しい地図』を立ち上げました。タッキーも自分でプロダクションを設立するのではないでしょうか。少なくともタレント育成には今後もかかわっていくはずです。2年前に、無名のメンバーを集めたJr.グループ『IMPACTors』のプロデュースをはじめたばかり。彼らのように急に滝沢という後ろ盾を失い、宙に浮くJr.の救済に動く可能性はあります」(音楽制作会社関係者)
滝沢の後任には、元『V6』の井ノ原快彦(よしひこ)(46)が選ばれ、すでに『ジャニーズアイランド』の社長に就いている。
「若手の育成にかかわっている印象はありませんが、TBSやNHK、テレ朝など各局に顔が利く人選だと思います。滝沢氏はジャニーさん亡きあと、スーツ姿で名刺をもってあいさつ回りを行い、局の幹部の接待もしていた。井ノ原氏がそういった方法をとるかはわかりませんが、天性の人たらしなので営業能力は高いでしょうね」(同前・芸能プロ関係者)
「原石」を見出し、磨き、大スターに育てるのがジャニー喜多川氏の卓越した能力だった。
その継承者との決別は、帝国にとって致命傷となるかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5b63753fefba12b4fdb696b71de650f35f53c2e1
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