【文春】何故、GLAYのTERUは前妻を捨てたのか?その理由がコレ

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【文春】何故、GLAYのTERUは前妻を捨てたのか?その理由がコレ

1: ひえたコッペパン 2020/12/02(水) 14:39:54.16 ID:CAP_USER9

https://bunshun.jp/articles/-/41833
細田 昌志

日本を代表するミュージシャンとして名を馳せ始めたタイミングで、デビュー前から支えてくれた妻と別れたGLAY・TERU。その一年後にはPUFFY・大貫亜美との再婚が報じられ、世間には非難の声が轟いた。しかし、糟糠の妻と別れたのは、彼がただ薄情だったり、地位に奢ったりしたからなのだろうか。ここでは細田昌志氏の著書『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか?』を引用し、TERUの人生を振り返りながら、彼の心に隠された結婚観に迫る。

大貫亜美がいくら思いのほか美女であるとはいえ、TERUが、いくら芸能人との結婚願望を持っていたかもしれないとはいえ、それだけの理由で、苦労を共にした美しい良妻と、可愛い盛りの子供を、あっさり捨てられるものだろうか。

TERUに断腸の決断をさせた強い理由と背景はなかったのか。TERUを衝き動かしたものは何か。
中略

芸能界という無人島に迷い込み、自分を見失いかけたときに、育った環境や趣味、価値観などが共通する異性と出会った。同じ1996年に大ブレイクをはたしているのも大きい。同志とも戦友ともつかぬ感情をお互いに抱いても不思議はない。それこそが、TERUと大貫亜美を結びつけた。その要因も無視できないのでないか。さらに、二人が結びつく決定的な要因がこれに加わる。同業者特有の通弊である、「パートナー志向」である。「パートナーも同じ仕事に携わってほしい」「パートナーには自分の仕事の理解者であってほしい」「それによってプライベートな空間でも、仕事と近接な関係を築いていたい」という、パートナーに求める条件こそがまさにそれだ。俳優、芸人、作家、教師、医師、弁護士、政治家も同業で結婚する事例が近年増えている。中でも音楽家は、その志向がことに強いのかもしれない。

山下達郎と竹内まりや、桑田佳祐と原由子、坂本龍一と矢野顕子(その後離婚)等々、音楽という共通項のある伴侶を持ち、プライベートな空間でも常に音楽の空気を吸っている印象を周囲に抱かせることができる。ミュージシャンであるなら一度は憧れを抱くかもしれない。

TERUの自意識の隙間にこれが入り込んだとしたら、もはや、その勢いを止めることはできまい。この志向が高まるとますます糟糠の妻への関心が薄れる。歯止めが利かなくなる。それによって、自分がミュージシャンであることの説得性は保たれ、音楽的な幅の広がりさえ、ファンに印象づけられるのは何物にも代えがたいことだからである。

TERUは、アマチュアバンドの経験を持ち、アーティストとして独自の道を歩んでいる大貫亜美に、その部分を強く求めたように映る。

結婚を発表したときの、TERUのメッセージを改めて読んでみたい。
「音楽を愛し、この世界で頑張ってきた2人なので、これからもお互いに刺激し合いながら、音楽の道を歩んでいきたいと思います」

糟糠の妻を捨てた彼を批判することは容易い。しかし、そこに至るまで、彼は多くのことに触れ、多くのものを得て、多くのものを捨てたはずだ。芸能という特殊な世界で生き、僥倖もあろうが、思いもつかないほどの大きな成功を収めた彼が、それらの問題に直面したことで、常人だった過去の自分では想像すらしない決断を下した。それこそが、TERUをして、前妻や愛児を捨てさせてまで大貫亜美を選んだ理由ではないか。筆者はそう見ている。

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