親父が開店になだれ込みドミノ倒しに巻き込まれて足を骨折して帰ってきたな…
もう80代になった親父、まだまだ元気です 笑
父親が大勝ちした時は大きな紙袋に景品で交換したタバコを何カートンかとお菓子やオモチャ入れて持って帰って来た記憶がある
今はボタン一つで玉が勝手に出て来るが昔は手を添えて下から上に押し上げて手の平に玉を出してやってた
閉店間際に
一発台が掛かると
出玉を保証してくれた。
百円が使えてた。
親父といっしょに入店
暇だから 落ちている玉 集める
知らない人から ジュ―スとお菓子
もらう
親父が、用がある間、子供が代打ちしていた
とにかくタバコが大嫌いやから
煙が凄くてパチンコ屋さんには行か無かった…
昔は本気で釘調整で出玉が変わるので、「打ち止め」なる制度があった。
一箱分の出玉をくれるタイムサービスがあったのと釘に玉が詰まると入賞チャッカーに玉をに入れてくれて保留満タンにしてくれた
椅子がなくて立ってプレイ。
電動ハンドルはなくて、一発ずつ手動で弾き出していた。
禁煙になったのは令和じゃなかったっけ
若いお姉さんが行くと、店員さんがサービスで随分オマケしてくれた。
もう引退して長いので、逆にえっ⁈今ちがうの?ってなった。
昔って3とか7の図柄以外で当たってもそのまま続けられなくて必ずザーッて流してまた現金でやらなければならなかったような?
モーニングがあったけど
今でもあるのかな?
高校生の時、初代アラジンを打っていたら、店員がやってきて、「兄ちゃん、設定上げてやっからどいてみ」
と、設定1→2に変えてもらったのはいい想い出。
失われたフレーズ
『ジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリ‼️』
自分の地元では店内のBGMが演歌ばかりだったww
懐かしいですね。俺も子供の頃、両親に連れられてパチンコに行きました。それでよく拾った玉で打って、その台が当たって、小遣い貰ってました。(笑)平和な時代でしたね。
平成初期の頃までは家族連れで行くのが普通だった。クレヨンしんちゃんでもその話があった。
そうそう、清算する時客が自分で球をジェッターに流してた。運ぶのもモチロン自分で
玉貸し機にレールがなくて自分の手でやってた
吸い殻が多い台がよく出る台。
雨の日は玉が滑りやすいからよく出る。
客のふりをした「サクラ」がいた。
とかよく言われた。
店員がカゴにパンとかおにぎり入れて歩いてたな、今のコーヒーレディ的な
平成1ケタの頃まではそんな感じ。高校生もフツーにみんなタバコ吸いながらパチンコしてたよな〜古き良き時代でしたね
親父に連れられて5歳ぐらいだったけど落ちてる玉拾って普通に羽もの打ってたよ すんごい楽しかった
分かってしまうのが悲しい
景気良かったな。
パーっと使ってたもんな。
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