アメリカ→性別の話
日本→性癖の話
日本 「BL! ジェネ! 男の娘! 女装子!」
アメリカ「 全部ホモでは?」
日本「 何だ !てめえ 」
日本 キレた!
お姉ちゃんに無理やり女装させられた弟は男の娘か!?
と友人と議論になった事があったけど
「お姉ちゃん、こんなのやだよ〜」と言っている間は女装子で、1人になって鏡の前でポーズをとってまんざらでもない表情したタイミングから男の娘。
という結論でまとまりました。
「日焼けした日本人」とか「色黒な日本人」すら、勝手に黒人とか言い出すルッキズム連中だからな。
「私がそう思うからトランスジェンダー」って何やねん。お前が決めることじゃないやろがい。キャラ本人に聞けや。
かわいい服が着たい男の子
かっこいい服が着たい女の子が
トランスジェンダーだって言う方が理解出来ない
やはり日本が真の自由の国であった…
押し付けてくるのがポリコレ。
お好きな方だけ見てねってのが日本。
この差は本当に大きいと思うよ。
日本「これが男の娘」
日本「で、これが女装男子」
日本「これはTS男子」
日本「ショタ」
日本「後フタナリロリ」
海外「全部一緒じゃ無いですか」
日本「何ダァ…?テメェ?」
まぁなんか色々言ってるけど、日本人というかアニメ文化は二次元にかっこいい!とかわいい!をひたすらに詰め込み続けた結果だと思うぞ。
社会問題とかどーでもよくて欲望に忠実だっただけ
ニュアンスっつーかさ・・・
すぐ恋愛や下半身に話がいく民を見てると哀れでならない
かわいいのが好きな男がいてもいいし、自由に服を着てもいい、
BLでキャーキャー言う女性にも全く問題がないし、
それらがトランスなんちゃらへの理解や無理解があるわけじゃない、そんなもん誰も気にしてない
アメリカのどこに自由があるのかと最近頓に思う
外国人さんはどうやら「棲み分け」文化が無いようだね…
日本では好きなものだけを摂取して嫌いなものには突っ込まないけど
外国では全部に首を突っ込んで自分の好き嫌いを押し付けていくんだね…
日本A「これが男の娘、これがオカマ、これが女装子、これがニューハーフ」
アメリカ「全部同じじゃないですか!」
日本B「ちがいますよ~」
日本A「これだから素人は」
外国人→複数の色を一つにした虹色を多様性という
日本人→複数の色を個々独立にして多様性という
この辺に関しては海外の方が遅れている癖に自分らの方が成熟してるから教えてあげないとと上から目線で言ってくるから、基本無視でいいと思うな
ネタでよく見る
要するに全部ホモでは?
て言葉にキレるコラ画像が
笑い話に出来ない世界が海外だったんかな
性多様性なんて、日本が4000年前に通った道だよ。
ちゃんと国外の人でも理解してる人がいる事になんか嬉しさを感じる
ちょっとした特殊性癖を持って初めて気づいたんだけど、なんで日本にはこんなにも多様なジャンルがあるのかと言ったら、
「確かに、こういうのは好きだよ?でもな〜、なんかこう、少し違うんだよな〜」を突き詰めた結果だと思います。
つまり複雑で難解とはいえ
「女装少年 男の娘 TS」
「結局のところ全部TGでは…?」
をマジで言ってるようなもんか
そら「なんだァ?てめェ……」にもなるわな
エイと工ッ千してる春画があった国だ。
面構えが違う。
日本は本当に多様性に溢れてるというか寛容というか正直というかこだわりが凄いというか
(特に性には)
北欧の国には雪に関する言葉が膨大にあるように、文化的に身近にあるものは多様な表現ができるようにそれだけの言葉が存在する。表現の幅がないってことはいかにそのことについて向き合ってこなかったかの査証だ。
多様性と言いつつ、●●はダメ、●●でなくてはならない、これは●●だとかいう思想を押し付けているという矛盾。
丁寧な解説動画でわかりやすかったです。
なんか海外から多様性だのLGBTだの新しい言葉が入ってきてると思ったら日本人が数百年前に通り過ぎてきたものだったので当たり前すぎて理解ができないんだよな
西洋人は物事を仕切りすぎて、新しい情報に対してどこにそれを収めるかに躍起になりすぎてる節がありますね。日本人はそこら辺は曖昧にして純粋にキャラクターの関係性を重視してるんですね。
日本「トマト、ピーマン、きゅうり
にんじん、大根!」
海外「やさい!」
マジこれ
トランスどうこう言うからややこしくなる、ものを変えたらわかりやすくなる。
LGBTQ+なんて日本ではそれぞれのジャンルとして漫画やアニメがあるけれど
海外は急激に目覚めた事により、一つの作品に無理に多様性を表現させるからつまらない物が出来てしまうんだよね
BSSという名前が付いてジャンルとして認知され始めたのは最近だけど
告白を躊躇していたら横からかっさわられたという小説なら100年前に夏目漱石が書いてる由緒正しい様式美だぞ
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