こちとらあんパンに憧れて育ったもんでな
なんというか「自分と同じ、という共感」も良いけど、自分と違うものを見て「自分もこうなりたい、という憧れ」も創作物には大事だと思うんだよなぁ
「これ俺じゃん」って見方するときもあれば
「俺もこうならねば」ってのも多いと思う
「日常」でのスタバっぽい店でのあのエピソードって、日本の女子高生でなくとも共感できるよな。
見た目が近くないと共感できない人って、かなり悲惨な頭してるよ。
一周回って結局ルッキズムになってんだな
そもそもの問題は、既にあるものの良さを認めずに『私達が考えたユニークなものが真に良いものだ!』という思想を全世界に押し付けてることだと思う。
日本のアニメだけじゃなくてディズニーとかも十分多様性あったよ。ポカホンタスとかジャングル・ブックとかもあるし。
アメリカでは黒人少女がシンデレラの服装をすると「黒人のくせにwww」と笑われたりするのでディズニーはそういう風潮を是正するためにアレコレやってるらしい
でもまあそれは完全にアメリカの問題であって少なくとも日本が巻き込まれる筋合いは無いな
多くの日本人は、キャラの皮の色じゃなくて、キャラの内面や言動、精神性や信念などに共感を覚えるんだよ。
そもそもエンタメキャラへの共感って、必ずしもそのキャラに自分がなりきる、ばかりじゃなくて、そのそばにそっとよりそいたいとか、応援したい、支えたい、時に手を引っ張りたい、そんな場合もあるわけでw
黒人化に一番熱心な層が一番肌の色にこだわって差別してるのな
リトルマーメイドの黒人化はほんとそう
ギャーギャー騒ぐ黒人を満足させただけの薄っぺらいポリコレ配慮配役
なんでこう『自分を代表するキャラが〜多様性が〜』ってこだわるのか不思議だったが、向こうではキャラをリアルっぽく描きたがるから現実の人種をそのまま反映する感覚になって、見た目がリアルじゃないキャラに対する想像力が育たないんだな。そりゃ道理で面白い物語が自前じゃ作れないわけだ
代表されているって感覚が全く理解できない
キャラに対する共感は理解できるんだけど
肌の色や外見で共感してもらえると思ってるのが浅はかなんだよ、外見なんて千差万別なんだから中身と性格で共感してもらうしかないんだよ
多様性ではないよ、でずにー。単なる「画一性」
人種の問題ですらなく、ただのルッキズムだったのかもしれねえ
ミーム画像の上3つが全部ディズニーなの草
外見と内面が一致してこその多様性だってことを理解してほしい!
多様性を語る人ほど、眼の前にある「様」をまず否定するという矛盾
そのうち、「顔面白塗りした黒人のジョーカー」の映画がハリウッドから出て来るんじゃないかと思っている。
好き、は選択肢を増やし、
嫌い、は選択肢を狭める。
そうよね。白人のクラーク・ケントやルイスに感情移入してスーパーマン見てたし、黒人のブレイドに感情移入して観てた。
ブルース・リーに憧れて腹筋する少年は世界中にいただろう。
ウルトラマンに感情移入できるし。
犬が主役の映画だって犬の気持ちに寄り添って観てるでしょうに。
ダンダダンのアクさらのエピソードに多数の人が共感したのがいい例。
あれってお化けだからね。
黒くすれば正解って世界は終わった
そもそも白人キャラクターを黒人化することは白人のように振る舞う黒人を創ることであり、
それは白人の歴史的背景を黒人が持つように創作することであり
黒人の歴史的背景を無かったことにする差別なんだが?
ちょっと気付いたんだけど、私は本好きで、民族や見た目が違ってても主人公に自分を投影できるんだけど、本を読まない国とか、本を読まない個人が自分を投影できない傾向にあると思う。
彼らは、思い込みは激しいけど、本を読まないから想像力に欠陥があるのだと思う。
昔ばなしとか見てると種族関係なく協力したり(さるかに合戦)、友人の為に悪役になったり(泣いた赤鬼)してるから人種とか、気にならないんだけどなぁ
黒人が主役の映画は過去にも沢山あると思うけど、なんで既存の作品を黒人化させるのかがわからん。
分かりやすい例としてあるのが「舞台劇」だと思いますよ。
様々な国で、それもその国の人達が演じる。
でも、元の作品にリスペクトされてのものなので、人種が違う肌色が違うなど言わない。
「役」が出来ているかどうかですよね。
それに対して今の「間違った多様性」は、作品へのリスペクトがなく、それ故に「役」が出来ていない。
これは逆に失敗例を見せて「ほら、上手くいかないでしょ?」
とワザと前例を作ったのではないか、と最近思うようになった。
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