どちらが良い悪いじゃなく文化の違いだからな。
アニメーターですが、海外向けの合作のアニメ何かで原画を担当すると、
何秒以上動きを止めてはいけないという指示が必ず入ります。
話をしてる間も人物の動きを止めてはいけない。
止まっているのは絵であって映像ではない。そういう考えなんですよ。
なので日本人アニメータは慣れない身振り手振りをさせながらの会話シーンを作画することになる。
ディズニーとジブリと言うより、ハリウッドと日本映画の違いかと。
文化的な違いであって、良い悪いじゃない。
最近のディズニーの不満に攻撃したくて
勝手にジブリを当て馬にしているのが気になる。
制作体制、期間と規模が全く違うのに
比べるのがおかしいと思う。
ジブリも全部が名作じゃないし、
全盛期の作品しか比べてない。
過去のディズニー作品は間違いなく名作なのに
対立させるために意図的に貶めている。
視聴側が変な声が大きく目立って
不快な人が増えた
ジブリもディズニーも
両方楽しめた頃が一番良かった
静のシーンは視聴者に振り返って考える時間を与えて主人公とのシンクロ度合いを高めるのかもね。
エヴァンゲリオンもカヲルを握り潰すシーンで凄く長い間があって当時、衝撃を受けた。
実写洋画は沈黙使ってるのにな。
子供向けとしてミュージカル的に音楽で楽しく埋めとけって発想なのかな。
あ〜そういや欧米は沈黙が無理な人が割合高めって聞いた事があるな
落ち着かないとか気まずいとかそんなんなるんだとか
かの手塚治虫大先生は静寂を表す擬態語として『シーン』という単語を生み出したくらいだ。
そもそも『擬態語』という概念が日本独自だと思う。
皿の上の料理にソースまでかけてあるディズニーと
土鍋に具材を入れて煮え具合を自分で確かめるジブリ
こんな感じ?
黒人化しなきゃもうなんでもいいよ
好きにしてください
沈黙って言ったら、志ん生師匠?が晩年高座で寝てずっとサイレント落語で、客は起きるまで待ったって伝説あるらしい(ホンマかな?)日本人は沈黙を大事にするんだなw
間を作らずに終始盛り上げるディズニー
間を作って爆発的に盛り上げるジブリ
どちらも素晴らしくて甲乙付け難い!
他の国の映画の良さを消してどうするんだよ。
インド映画からダンスシーン削るようなもんだぞ。
似たような話は映画の「殺陣」の違いで聞いたことあるなあ
パクリウッドは間寛平やな、「わしゃ〜止まると死ぬんぢゃ〜」って感じで。┐(´д`)┌
最近ではチェンソーマン総集編で「間」をカットしてテンポを上げたことで評価されてたりするけど
難しいねー
TV版エヴァでエレベーターで綾波とアスカが一緒になったシーンが衝撃だったな
アニメなのに全く動かない、でも緊張感が凄かった、ずっと息が止まってた
キャラに焦点を当てる手法な分を空間の演出でバランスを取る
その結果、世界背景がそのコントラストで描かれる
オフィスアプリ使うとき余白があったら「まだここに情報が詰め込める」キレそうなのがディズニー
デフォルト設定にうんざりしてユーザー設定で毎回「一番見やすいのはどれ」と細やかにやってるのがジブリ
ってことかな?
間が無くて無駄がないって言うが、隙間を埋めるため「だけ」の動きはもはや無駄な動きじゃないか?
会話中に英語話者は4秒、日本語話者は8秒まで相手の沈黙を許容するだっけ
ハリウッド映画にも間や静寂のシーンはある。
ディズニーやピクサーは子供向けエンタメフォーマットはそういうもの、という固定観念で硬直化しているのだろう。
ジブリは実写映画に近づけようとしているかは分からないが、実写と遜色のないもの、大人の鑑賞に耐えるものを目指しているのではないか?
会話してる時ですら手めちゃくちゃ動かして室内でもウロウロしてるもんなぁ
商業的であるというのも、並々ならぬ努力の末の到達点だということを忘れてはいけない
見てる人のことを最大限に考えて作られている、最近のディズニーは少しズレ始めている気もするが
静寂は静寂ではないのだ。
考察や情報整理などで頭の中がうるさくなるのが静寂。
過去の遷移を、現在の情勢を、未来への期待と未知への恐怖を、ユーザに体感させる時間なのだ。
始めに言葉ありきで沈黙は「無」なのだよ。西洋は高低強弱緩急が根本にあって落差やメリハリで表現する。対して日本は間や静寂、つまり行間の読解を主とする。西洋では無は無言無意味だが、日本では雄弁な含意となる。休符や余白が基本形
普段の会話の間(ま)の違いも、映画製作に影響しているかも、と思いました(日本語の方が、会話の間(ま)が長いそうです)
ジブリだと紅の豚でちょくちょく挟まれるただ飛んでる映像とか印象深いなぁ
実際監督が書きたかったのああいう自由に飛んでる姿だったろうし
一応日本は歌舞伎辺りからの技術だと思うがアメリカのカートゥーンのハリウッドからも学んでない感じは何なんだろう
コメント一覧