ご飯は冷飯になるとなんか変化して食物繊維に似たものが取れるのでかなり優れもの
風呂もアレも人の営みで皆やってるから別に気にする事なんてない みたいな感覚なんだろうな
社会の先生が言ってたけど調味料とか何かしら借りた時にお礼に自分の奥さんを抱かせたりしてたらしく誰の子供か分からないから長屋の住人みんなで大事に面倒みてたって聞いたことある
お風呂は結婚前の年頃のお嬢さんは、おばちゃんたちがガードしてたらしいね。
ちゃんと最後に
オラの疑問に答えてくれて
ありがとー
風呂屋では、商屋のお嬢様も入りに来てたが、必ずお付きのババが睨みをきかせてたらしく、男共は遠目に眺めてたそうな
これでも下水処理とかちゃんとやってたんだから当時からしたら相当いいよね
井戸に見えるのは実は水道で
大元の水道線は一部今でも現役と聞いた事がある
普段はふんどしなんてレンタル料かかるから締めないけど、祭りとかイベントあると奮発してふんどしをレンタルし、「俺ふんどし絞めてるぜ!」って自慢するために着物たくし上げてわざと見せて歩いたって聞いたわw
ちなみに混浴は寛政の改革の時に禁止されました
農村も日の出から日の入りあたりまでで、灯りはほとんどなかった。
昔、アメリカで大規模な停電があり、その地域の出生率が少しあがったとか………
娯楽がない、お金もない………高度成長以前の日本も………
1人を生涯愛し抜く。そこに美しさを感じるんだよなぁ。これは価値観の変容によって生まれた感情なのか、それとも当時もあった感情なんだろうか。
一人一部屋or単身生活を経験すると、こんなプライバシーのない生活には戻れない
私の子供時代みたい。
社宅の長屋だったからコンパネ1枚みたいな壁だから隣の会話は聞こえてたなぁ…
トイレはあったけどお風呂は銭湯勿論男女別だよ。
東京都も昭和のころまでこんなもの。四畳半に一家4~5人だと聞いた。
ワンピースでもあったよ混浴でもおばちゃんが隠して守ったりしてたらしい
マンションの様にで高さで住民を増やす事が出来ないから狭くせざるを得ない。ただ人がひしめき合うが故に、トイレ等の下水施設が発達し、元々川が多かったのもあって世界的にも綺麗な街だったらしいね。
欧州じゃ街のの臭い消しに香水が発達した訳だ。
高校2年の時の日本史の先生の余談がおもろかったんだけど、下ネタばかり話すもんだからそれが原因でクビになっちゃった(アレがデカくて女性天皇に寵愛されてた僧侶の話とかおもろかったのにw)
座って半畳寝て1畳
いい言葉だ
江戸だと婚姻率は著しく低く、長屋暮らしは基本独身男性ばかり。男性は若いうちは江戸に出てきて、結婚したくなったら地元に帰って結婚すると聞いたことが。
これが事実なら、隣が妻帯者ってレアケースかも
炊きたてを木のおひつに移して冷ました飯は炊飯ジャーで炊きっぱなしで放置した飯とは比べ物にならんくらい旨いんやで
関西圏は暖房を兼ねて夜に炊飯
昭和30年代東京
6畳一間、家族5人生活
江戸市中の町家は単身男性ばかりでした
(独身とは限りません)
江戸市中に家族世帯が住んでいるのは贅沢な状態です
また川越に本宅妻子がいて
江戸市中に単身赴任も多かったそうです
全て火事を避ける為だとか
寛永の改革で混浴禁止令が出ています。皆さん知っていると思うけど
大家は家賃以外での副収入が有って、それが便所の内容物。
それも上から下まで有って、上が大名屋敷のモノで、下が長屋の住人のモノ
_人人人人人人人人人人人人人人人人_
> だから子供産まれやすいんやな <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
ダメだ江戸の市中は狭くていけねえ、渋谷松濤あたりの田舎にでも居を構えるか。
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