体罰もやりすぎは良くないけど、多少はしないとダメだな。過保護すぎるから今。
ただ甘やかすだけではダメ!
根底に愛があるか否かが大切。
今の日本に石原さんが存命であれば…。
子供の頃は、叱られてゲンコツ
でも、悪い事は悪いと教えられたのは、今でも覚えている
体罰と捉えるやつには教えなくて良い
後で困るのあなた達だから
何故暴力や痛みを他者に与えてはいけないかを教えるには体罰しかないんだよな
まぁそれでも本人が理解しないようならどうしようもないが、体罰を受けないまま痛みを知らないままだと『自分は痛くないからいいや』という人間は確実に増える
真の平等なんて人間社会にも自然界にも存在はしない
自由は不自由であり不自由も自由だからだ
一部認められることがあります。
ストレス耐性が足りない。
家庭でどれだけ可愛がっても社会では家庭の様には可愛がられはしないから
何でもかんでも平等なわけがない。
各々の個人能力が低くなっていくのは
競争をさせないからだろうね。
涙でぬれたゲンコツで子供たちをどつきまわす滝沢賢治のような先生が必要不可欠
故石原都知事の仰る『体罰』は、今目くじら立てられる体罰とは全くの別物だと思いますね。
子供とは生まれた時は獣と同じ、甘やかしてはイケナイ。石原氏はちゃんと理解されていた。正に『賢人』️
愛を感じるものは、体罰だって思わない。
私も石原都知事とまったく同じ意見です。
親のげんこつの痛みも、兄弟喧嘩の痛みも体験して、また食べ物の有り難みも、体験して、今がある。感謝です。
子供のエネルギーってすごいんだよ
子供の遊びに付き合うとへとへとになるじゃん
それくらい強いエネルギーをもってる
そのエネルギーが悪い方に向いた時、言葉だけで抑えるのは無理だよ
学校で禄に叱られないから就職して会社で
叱られたら自分が悪くてもパワハラと勘違いする。
子供の頃 悪い事した時親からも教師からもゲンコツされた
そこには愛があったと思う。
殴り合いの喧嘩もした
その事で痛みを知り、どこまでやって良いか力加減を知った。
体罰と傷害、暴力は違うからな
問題は体罰する方の大人が未熟で加減を知らないということ。それなりに苦しんで乗り越えた大人が教師ならそれも大切だろうが…今は難しい…大人が育ってないからな
石原さんの言っている事が、正しい事。
悪い事したらどつき回す事
君が代を歌わせない学校も間違ってる。
厳しさの根底に愛情があるかどうかだな
体罰は不可欠です。
間違い指摘しても理解しない児童、生徒をねじ伏せても間違っている事を分からせるのが教育ですねえ。
日本少林寺拳法の宗道臣師も同じ事を言ってますねえ。
うちのワンコ、興味本位で噛った電源コードで感電して、それから二度と電源コードを噛らなくなった。
犬以下の人間の親が犬以下の人間の子供を大切に育てようとするから、そうなるんだよ。
友人宅のお隣の娘さん…
叱られた事が無いので、就職して職場で叱られて不登校ならぬ出社拒否になって、会社辞めて毎日暴れて…20年くらいらしいよ
友人は平日、仕事で居ないけど、土日祝日(ーー;)うるさくて、堪んない!って友人は言ってた。
で、未だに叱れない親にも呆れる¯_ಠ_ಠ_/¯って言ってた。
ハッキリ言って小さな子供なんて犬と一緒!!口で言って分からないなら体で分からせないと!!やり過ぎはダメだが躾としての体罰はアリだと思う
うまく工夫して今の時代に組み入れるべき部分はあると思う。
石原慎太郎さんに同意ですね。運動会では、赤組白組に分けず、応援は「フレーフレー自分!」だそうだ。これだと、挫折に陥った時、言い訳が多様性や◯ハラへと訴えるかも知れない。子供達が悪い事をした場合、上の者が感情に任せて怒鳴るのはよくないけど、「コラッ」と叱るのは全然良いと思う。今の新社会人は新年会、忘年会も「これは強制ですか?残業手当は出ますか」と聞くらしい
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