この遭難事件や日露戦争で教訓を得た日本陸軍は、世界でも有数の冬期戦装備が充実した軍隊に成長した
そして熱帯のジャングルで戦うことになった
本当にここら辺の歴史悲惨すぎる
「仲間が助けに来たぞ!」(幻覚) ←これ
別動隊は完璧にやり切って成功しており、どれだけ片方がやらかしたかよく分かる
当時の裏起毛の服が凍ってさらに寒く感じるようになってたらしい
この話を聞くとバカバカしさと兵士の惨めさが合わさって毎回何とも言えない気持ちになる。
各自自力で帰えるように!←これを平成の世にやったてるみくらぶ
これ実は気温自体は歴史的ってほど寒くはなくて、風と吹雪が強かっただけ
指揮官のミスと防寒が甘かったのが大きな原因だったらしい
有名過ぎて海上自衛隊の幹部候補生学校でも日本史始まって以来の失態で反面教師として勉強させられます。
やったー人が助けに来たぞ!!!⇒ただの枯れ木
川に飛び込めば流れに乗って人里に行けるかもジャポーン⇒凍死
食糧いっぱい持ってきた⇒カチコチで食べれない
救助に来た人が、気絶した人に気付け薬を注射しようとしたら全身カチコチに凍ってて針が刺さらない⇒頬の内側に刺す
などなど恐ろしいエピソード満載で震える
この話聞いてるだけで絶望感えぐい。
これにて解散!と神は我々を見放した。で心臓キュッてなった
ブタさんトコトコで可愛い
取り敢えず大量死しなきゃ一切対策しないのってお国柄だったんやなぁ…
こういう準備不足やら、意見を聞かず突っ走る性格は終戦までなくならなかった。
必要性のある訓練をやって残念ながら死んだ 文明ってのは実験、実証、反省の上に成り立ってる
地元住民も脅迫して無理やり連れてったの最高に日本軍らしくて草
これの映画見たけどマジでやべぇよな
事件そのものもやべぇけどそれを再現した映画を撮影するのも過酷すぎて撮影中何人も逃げ出したのマジでやべぇ
これの映画に若い頃の佐野史郎が出演して、あまりの寒さに矛盾脱衣する兵士の役を買って出てそそくさと帰った話すき
実際同時期に別の雪山で雪中行軍やった部隊は防寒装備や凍結しない食糧とかをきちんと準備してきっちりと踏破しとる筈やからな
猛暑の日に八甲田山の映画見ると気持ち涼しくなるよ
これより厳しい寒さが襲うロシアの冬将軍が強すぎる
主に地元出身者を編成して 指揮統制がしやすく40名ほどで装備も経験から自前で持ってた行った別働隊は普通に成功してる模様
八甲田山の気温はほんまに低いからな
山の危なさ舐めたらあぁっm
昔父に八甲田山の映画見せられてから冬と山がトラウマになったわ
今でも山登りが怖くて出来ん
そしてどちらの基地も今は学校になってるけど今もまだ弘前では幽霊が出る模様
これやらかしたって分かってるって事は生存者とか後日回収や調査行った部隊がいるんか
ちなみに救出しに行った際雪に埋もれていた上官と思わしき人に点滴を打とうとしたら注射針が入らず折れたとかも言われてたり
八甲田山スキー場に泊まった時夜鏡越しに何かいたからまだ彷徨ってるのかって悲しくなった
現地民は「そんな装備じゃ寒いから防寒着を着ていけ」とアドバイスするも「軍を侮辱するのか!」と強行した結果だからね。
正しく
現地民「こんな装備で大丈夫か?」
軍『大丈夫だ、問題ない』
だよ。
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