ファンがつくほど有能な脚本家なら、オリジナルも原作ありもちゃんとこなしてみせる罠
ヒット作品を生み出せない脚本家が何故原作改変してヒットできると思うのか…
天才の作品を凡人が改悪、絵の修正 失敗 を思い出した
だったら、オリジナルをかけ。
オリジナルをかけないのに作家性もくそもないわwww
誰も脚本家全否定してないだろ。
原作リスペクトのかけらもない脚本家が非難されているだけ。
四畳半神話体系なんかはアニオリ盛りまくりで原作の3倍くらいボリュームが膨れてほとんど別物だったけどおもしろかった。
原作者と監督と脚本家の意思疎通がちゃんと成り立ってて共同作業が上手く進めば理想なんですけどね
小林靖子さんの脚本は好きだなぁ
ご本人は「作品やキャラクターの魅力を映像的にどう伝えるか考え」「そこに自分らしさは必要ない」とおっしゃっているけど、原作の矛盾や映像にしづらい表現を落とし込む力は類を見ないです
原作者と表現について相談している点も好印象
原作を大事に思っている人に脚本家になってほしいな
改変はあくまで「原作者と合意の上」、これが大前提。
有能な脚本家は栄誉を讃えて
無能な脚本家は罰を与える
そして一覧を原作者が知ることができる
そんな仕組みがほしいと思った
落ち度があるのは日テレの制作ではあるが
それはそれとして本来は下請けの脚本家風情が驕り高ぶってるのは鼻につく
脚本家ってやっぱりこんな人間がデフォルトなんだな
小林靖子さんは原作をリスペクトされているのが伝わってきますね。
岸部露伴のドラマもファンの間でも評判が良いですし。
アニメの6部のラストで「みんな未来なんか知らなくても覚悟があった!
覚悟ができていなかったのはお前だプッチ神父!」
て原作に無かったセリフだが物語が更にしまった感じになったので素晴らしかった。
脚本家に求められるのは実写化における媒体の違いの補間、落とし込みであって
作風を変質させることでは無い
そこに作家性をねじ込むなら不要
原作者にリスペクトできるまともな脚本家の人達も忸怩たる思いされてるだろうなぁ
原作をリスペクトできない脚本家は要らない。
原作をリスペクトしてる脚本家なら、原作の良さを残しながら面白くできるので。
漫画原作ものの脚本を小林靖子さんが書いてくれる時の安心感は異常
リーガルハイの脚本家はホント凄いと思う
あれオリジナルなんだよな
勘違い脚本家が多いけど原作者が言う改変するなってのは重要なセリフや生い立ち、その場の雰囲気みたいなキャラの柱になってる部分を守れって言ってる訳で一言一句同じセリフを言わせろとか全ての行動を真似させろっていうわけじゃないんだよ。
90年代の野島伸司は強烈な作家性があったな
リスペクトしないksがリスペクトして貰えるわきゃないだろ自惚れんな
脚本家はオリジナルなら自分を出したその人らしい脚本で、原作があるならその原作と現実的な表現の限界を考えて間を取る脚本を作る。
有名だったり人気な脚本家は
だいたいこれができてる。
ファンが居る脚本家はちゃんとオリジナルで脚本書いて人気作出してるからな
原作の改変しかしない人は紛らわしいから改変家という肩書きにして欲しい。オリジナルや誠意持ってやられてる脚本家にも失礼だから。
0から1を生み出すなろう作家ってすごいやんけ…
原作破壊ドラマの円盤の売り上げ見れば
彼奴らの存在価値の低さが良く分るよね
一流脚本家の仕事を例えると、”gone with the wind(直訳:風と去った)”を”風と共に去りぬ”の様に、原作のイメージを変えず、より伝わり易く工夫を凝らす事だと思う。
虚淵って凄かったんだな…。
好き嫌いを選ぶ内容だけど人気なオリジナル作品をぽんぽん出してるもん。
ぶっちゃけ、脚本家に作家性もとめてる人は1人もいない。
ドラマに落とし込むために「調整」するのが仕事。
作家性を求める仕事は、オリジナルの作品を作るときだけ。
オリジナルも作れない無能が「作家性」を語るなんてのは失笑以外無い。
大野靖子さんという脚本家が好きだった。何故って、原作の台詞をほとんどいじらずに使ってくれるから。
巻き込まれたんじゃ無く、脚本家が火をつけたんですけどね
コメント一覧