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夫の成功や子供の教育に力を注ぐことがよしとされ、「自己実現」などと言えば周囲から不思議がられたアラ還世代の女性にとって、松田聖子(59才)は希望の星であった。並々ならぬ努力と行動力で、結婚もキャリアも、欲しいものはすべて手に入れてきたとされる聖子を襲った人生最大の悲劇。愛娘について、7年以上も無言を貫いてきた聖子の胸中と本当の母娘関係──。
女優・神田沙也加さん(享年35)の突然の死からちょうど2週間経った、昨年の大晦日。母・松田聖子は、初霜がおりたかのように白くふくらんだ菊のつぼみがあふれる祭壇から、片時も離れることはなかったという。学校の入学式、卒業式、結婚式、沙也加さんの人生の節目には、いつも不在だった聖子が肩を震わせながら抱くのは、ピンク色の布で覆われた骨壺だった。
大晦日の夜、出場予定だった『第72回NHK紅白歌合戦』に聖子の姿はなかった。
「プロ意識の塊のような女性なので最終的に紅白には出ると思っていましたが、今回ばかりは無理だったようです。これまで2回も母娘共演を果たした思い出の番組だけに、つらさが倍増したのかもしれません」(NHK関係者)
新年を迎えた現在も、聖子は憔悴しきっているという。
「歌うなんてもってのほかで、愛犬の散歩どころかひとりで外出もできない状態です。話している最中にふいに涙を流したり、立っていることができず、その場にうずくまってしまうこともあるそうです」(聖子の知人)
立つこともままならない聖子が、ただひとつ夫のAさんにお願いしたことがある。それは、「供花を買ってきてほしい」ということだった。
「聖子さんのリクエストでAさんが真っ白な洋菊の花束を買ってきて、家の中の祭壇に供えています。聖子さんはその祭壇から離れようとせず、花が大好きだった沙也加ちゃんにずっと話しかけています」(前出・聖子の知人)
これまで何度も母娘の間の決裂が報じられた聖子と沙也加さん。断絶と雪解けを折り重ねた2人だが、聖子は沙也加さんのお骨を抱きながらこう繰り返しているという。「ぜんぶ私のせい」──。
聖子と沙也加さん母娘の本当の関係は、どのようなものだったのか。ある関係者によると、2人は7年以上も疎遠が続いていたという。
「かつて『友達母娘』と報じられたこともありましたが、サヤ(沙也加さんのこと)とお母さんはここ数年は口をきかないばかりか、メールなどで連絡を取ることもなかったそうです」(沙也加さんの知人)
母と娘の関係は、時にこんがらがって複雑になる。母が自分と似ているところを娘に見つけ、自分が踏んだ同じ轍を踏ませぬよう、娘の失敗を事前に阻止してしまい、ぶつかり合う。沙也加さんの場合、母親が「松田聖子」であることが母娘の関係をさらにこじらせた。
1997年に聖子が神田正輝(71才)と離婚すると、都内の私立小学校に通っていた沙也加さんは東京を離れ中学から千葉県内の私立中学校に進学。その後、聖子は6才年下の歯科医と再婚し、1999年に渡米した。沙也加さんはロスの日本人学校に入学したが、2000年、聖子の2度目の離婚を前に日本に戻り、千葉県内の中学校に復学した。多感な時期に、恋多き母のおかげで環境の変化を余儀なくされた沙也加さん。しかも聖子の娘ということで目をつけられ、私立中学の寮では壮絶ないじめにあった。
2002年、15才で沙也加さんはSAYAKAとして歌手デビューした。だが周囲から「親の七光り」との視線を浴びて、偉大なる母の束縛から逃れることはできなかった。
「聖子さんは、サヤが小さい頃から、『私がいないとあの子は何もできないのよ』という思いが強く、サヤのライブで裏方としてビラ配りをすることも。私生活でも彼女の恋愛にたびたび口をはさみ、衝突することがありました」(前出・沙也加さんの知人)
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そんななかで迎えた突然の別れ。母娘の長い物語の予想もしない結末に、聖子は自責の念に駆られているという。
「聖子さんと沙也加さんは決して憎しみあっていたのではなく、お互いの存在が大きかったので距離が必要だっただけです。聖子さんとしては、娘にくっつきすぎるとまた離れるので、適度な距離を取っていればまたいつか戻ってくるとの思いでした。それがこんな結末になってしまい、『私のせいだ』『私がもっとしっかりしていれば』と自分を責める毎日です」(前出・聖子の知人)
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